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浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

「アウトプット前提のインプット」は、すんげえ大事と痛感した日に。

紹介/Introduction

 今日は、インターン先の面接に行ってきた。

結論から言うと、悔しかった!

行く前は「面接なんて、自分のことを話すんだから余裕でできる」 ってなテンションで臨んだわけです。実際、今まで経験してきた面接は余裕でクリアしてきたので自信があったんですね。

でも今日の面接は、最初はいい感じに進んでたんですけど、話が深まるにつれて「あ、ええ〜、えっとですね....」と詰まることが多かった。

面接で言葉に詰まるってことは「日頃からいろんなことを考え抜けてないから」というだけだと思うので、単純にめちゃくちゃ悔しかった。

考え抜けてない原因は、まず「意識が低い」ことが大きいんですけど、もうちょっと細かく言うと「インプットの時の意識が低い」ってことだと思いました。今まで、本とかネットでいろんな知識や情報に継続的に触れて様々なことを考えてきたんですけど、その割には面接で失敗した。触れてきた「つもり」だったんですかね。

まあ、インプットをアウトプットに繋げることが全くできなかったわけです。

なんでかなー?と考えてたら、インプット関連の記事で「んん!!これや!」となった記事がありました。ちきりんさんの著書の内容を紹介してるshimotsuさんのブログ。(shimotsuさんの紹介はこちらでしてます。好き勝手に応援してるだけですね)

epochmaking.hatenablog.com

アウトプットを前提としないインプットに価値がないわけではない。

そのなかで蓄積されまくった結果、どこかで弾けることがあるかもしれない。ただ、それも結局弾け待ちのアウトプット前提だ。

このブログに書かれてる意識が自分にはすんごく欠けてたなあーと気付き、これからは書評はもちろん、人と喋って思ったことまで。「インプット」呼べるものはどんなに拙い内容でもアウトプットしような、と。

そして、人に話すこともすんげえ大事だなーと痛感した。要は、フィードバックをもらうことが必要だと思うわけです。

自分の問題意識や課題感をきちんと言葉にして、少し勇気を持って人にぶつけてみる。そんで、自分では気付けなかった抜け目を教えてもらって、さらに考え抜く・・。

「いやあーまだまだ意識低いし甘いなー自分!」と軽く落ち込んだ1日でした。

【友人たちへ】「籍入れればいいやん」じゃなくて、何がなんでも結婚式は挙げてくれ。

日記/diary

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先週末は実家の福井でいとこの結婚式に出るために帰省しました。

嫁さんはすげえ美人で、ウエディングドレスを着た嫁さんは「これまじか・・・」とちょっと肩身狭くなるくらいさらに綺麗になってた。

チャペルに嫁さんが入場してきた時から、彼女のお母さんはすでに涙を流していて「ああ、色々あったのかなー」と想像をしながらあまりの幸福感で嫉妬するくらいの式を終え、披露宴へ。

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お偉いさんの挨拶、余興なども順調に終わり新郎新婦の挨拶。

まず、新郎の父の挨拶が本当に上手かった。人生3度目の結婚式だったんですけど、録音して、自分の子供の結婚式でそのまま転用したくなる上手さ。

そして、新郎新婦の挨拶。

正直、うるっときた。

新郎新婦は、両親に今ままで照れくさくて言えなかった感謝とごめんなさいを飾り気のないまっさらな言葉で伝え、両親は「そんなこと思ってくれてたのか」と涙をこらえながら笑顔で全てを受け入れ「ありがとう」と「おめでとう」を返す。

「親」っていう、時には一番鬱陶しく感じる存在の「デカさ」が確かにそこにあったし、照れずに本当に思ってることを伝えた新郎新婦の健気さが良かった。

「健気」なんて言ったら偉そうなんだけどね。

でも、その「健気さ」って、やっぱりすげえカッコよくて綺麗なものだなあーなんてことも思ったり。

あの数分間は「もう、この瞬間がある限りは他に何もいらないよなー」なんて、ちょっと感傷的な気分になった。

あんな結婚式は、人生で何度も経験したい。マジで。

最後に、俺の数少ない友人たちに言っておく。

結婚式だけは、借金してでもやったほうがいい。

「籍だけ入れればオッケー」なんてヌルいこと言わないで。

やってくれ。

(そして、必ず俺も招待してくれ)

おめでと!!

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デカいことを達成するための「魔法」|コルク・佐渡島傭平さんのプロフェッショナル

ふりかえりたい

なんかめちゃくちゃ煽ってるタイトルで嫌ですね。

今まで「何かを成し遂げるために必要なこと」みたいな話を色々なところで聞いてきて、最近やっと自分の中で結論めいたことを出せた感触があったんです。で、たまたま今日コルク代表・佐渡島傭平さんのプロフェッショナルを見て、「やっぱり俺、間違ってねえな」と思えたので今日はそれを紹介しようと思います。

 

v.youku.com

『”地道”を超える魔法はない』

このエントリのタイトル「デカイことを達成するための『魔法』」は、

地味なことを、地道にやること。

これを読んでくれている人は拍子抜けしちゃうかもしれないし、「そんなこと知ってらあ」とここで読むのをやめちゃうかもしれないんですけど、俺は本当にその通りだなあと深く納得できたんですね。

自分の経験を話すと、中学校時代、野球部に入っていた頃。新チームになって最初はずっと2番手ピッチャーで悔しい思いをしてたわけです。「エース獲ったる」と友達に言うと「え、無理やろそんなん(笑)」と笑われた。でも、毎日ランニングをしたり、投げ込みをしたり、毎日毎日小さい努力を愚直に積み重ねた結果、エースナンバーをもらうことができました。

その時、達成したいことが自分にとってどんなに難しく大きなことでも、地道に努力を続けたら結果を出せるんだな、とリアルな実感を伴った自信を持てた。逆に、その方法でしか何かを達成することはできないんだとも思いました。

地道にやること。そして、それを継続すること。

この2つの大切さを教えてくれた佐渡島さんの動画、しんどくなったら見返したい。

 

「分かる人に分かればいい」について

本/Books

以前このブログで紹介した、久石譲さんの著書「感動をつくれますか?」の中で、以下の文章にアンダーラインを引きました。きょうは、それに対して考えたことをまとめておこうと思います。

1人の人間の個人としての人格と、職業人としての人格は、基本的に別物だ。

 

人に喜んでもらう、人のためになる音楽を作りたい、とは思うが、人の評価を意識して作るということではない

今まで「分かる人に分かればいい」という考え方で生きてきた部分がある自分を、「ちょっとそれ、どうなの?」と怪しげに見始めたタイミングだったので、この一節は刺さりました。

そのワケは、分かる人に分かればいいと考えてるときは「大体において楽しくないから」という単純なものです。例えば、笑いを取りにいこうとしてYouTubeで見たベテラン芸人の面白いフレーズを試しに使ってみると「?」という反応をされる時がありますよね。え、ないですか。俺だけですか。

「あ、ウケなかった。でもいいや、俺は面白いと思うから。」と考える時って、一瞬の気持ちよくなるけど、やっぱりウケないからずっと気持ち良くはない。その快感を邪魔してるものが「分かる人に分かればいい」という考え方。

これを1歩引いて見てみると、「伝えたいことを伝えられない」ことに対する「言い訳」であり、伝えようとしない「怠慢」以外の何物でもない。飲み会でそんなヤツがいたら「1人で楽しんでるおまえって、なんなの?」ってなりますもんね。

「どうしても表現したいことがあるから、自分の価値観を簡単に曲げたくない」という考え方は、芸術家・表現者たちの一部の人に対して効果的だと思うんですけど、当然そうじゃない人もいるわけで。

「人に理解してもらう為に、自分の考え方を曲げることはしたくない」という今までの自分の考え方は、「相手に分かるように伝える努力(過程)」と「自分の考えを曲げる(軸)」という本質的には全く異なるものをセットで考えていた。

これらは「過程」と「軸」という、全く別の観点で捉えないといけないのでは?と思うようになった。まとめるとそういう感じです。

似たような文脈で、他にも印象的な言葉がありました。

(中略)商業作家としてこう在ろうとするものと、ものづくりとしての立場、作家としての純粋な満足との間には開きがある。

 

(自分の音楽の中で)どこで聴いてくれる人とコミュニケーションを取っていくのか。僕は、時代の風みたいなものを意識する。時代のニーズと自分の音楽活動をどこですり合わしていくか。その中で行きつ戻りつしている。

 

全体的な感想としては、以前も述べた「クリエイターは必読!」というものと「やっぱり、久石譲も人間なんだよなー」というものです。

ぼんやりと「すげえ人」「雲の上」というイメージがある作曲家・久石譲にも、俺と同じような葛藤を繰り返してるんだなぁと感じた。到底、足元にも及ばないんですけど、ある種の「親近感」を抱けたのはとても良かった。

自分にウソをつかない為に、冷静にかつシンプルに色んなことを解釈していきたいなと思います。

量か質か?モノづくりしたい人に勧めたい!久石譲「感動をつくれますか?」

本/Books

作曲家・久石譲さん著、「感動をつくれますか?」を読みました。全体的に十分すぎるほど読み応えがある一方で、論考がすごく明快で読みやすかった。読後の感想としては「クリエイターとして生きていきたい人は必読じゃない?」というものです。

中でも印象に残っているのは「質より量」という話です。

質より量で自分を広げる

作曲には、論理的な思考とひらめきが必要だと強調する久石さん。これは、作曲に限らずものづくり全般に通じることだと思います。そして、それら2つを身につけるためには大量のインプットが必要だと久石さんは言います。

論理的思考の基になるものが、自分の中にある知識や体験などの集積だ。何を学び、何を体験して自分の血肉としてきたかが、論理性の根本にある。

 

「作曲家として最もプライオリティを置いていることは何ですか?」と問われたら、僕は迷わず「とにかく曲を書き続けること」と答える。

他にも、「質より量で自分を広げる」など、あらゆる事象からインプットすることの大切さを繰り返し説いていました。これを聞いて「ファッションが教えてくれること」というアメリカ・VOGUE誌のドキュメント番組内で、女性クリエイティブディレクターが「寝ているとき以外は、目に入ってくるもの全てにヒントが無いか?を意識する。そして、インスピレーションを得るのよ」と言い放っていたのを思い出した。「インスピレーション」と聞くと胡散臭く感じるかもしれないけど、実際見るもの全てからインプットをして知識などを蓄積していくことで、その人の「センス」が作られていくかなと感じた。

よくある「量か質か?」という話にスパッと気持ち良く切り込んできた内容でした。

久石譲さんの音楽論から生き方に対する考え方まで、幅広く書かれた本です。岡本太郎を彷彿とさせるようなインパクトのある本著。時間がある方はもちろん、無い人にも絶対読んでほしい。まだまだ紹介したい内容はあるので、このブログでも書いていきたいと思います。

 

 

 

帰省、結婚式、寿司

日記/diary

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今日から福井に帰省してる。

あした10時から従兄弟の結婚式が始まる。3度目の結婚式なんだけど、やっぱりワクワクがすごい。人の結婚式は、何回経験しても良いものだと思うねぇ。朝から表参道(美容師の友達)で髪もバッチリ切ってもらったし、スーツもビシッとなってるし。

楽しみ楽しみ!

「民俗学」に興味がわいてきて

紹介/Introduction

1ヶ月前くらいから「知らない世界を知りたい欲」が止まらなくなってる。このところ色んな事に興味のアンテナを張って収拾がつかなくなり困ってるくらい。物理を掘ってみたり、デザインを掘ってみたり、良し悪しは置いといて色んなことに興味が湧くたびにその分野の本を買って読んでるわけです。

んで、いま興味があるのは民俗学。発端は、メタップス・佐藤さんの「未来に先回りする思考法」という大変な名著を読んだことなんですけど、止まらない好奇心にトドメを刺したのは「タモリ倶楽部」。今までヨルタモリはYouTubeで腐るほど見てたんですけど(ちなみに、1番好きなのはリリーフランキーの回)タモリ倶楽部は一切見たことがなかった。

www.youtube.com

タモリ倶楽部の何に惹かれたかっていうと、タモリ倶楽部ファンはかならず分かってくれるであろう、タモリさんの妄想なわけです。

昔、都内で「引き廻し」が行われていた道を古地図と現在の地図を重ねながら街を探索してるタモリさんが「いま歩いてるこの道を、150年前は武士や商人が歩いてたんですよ?」と興奮しながら話していたんです。それには、俺もすんごく共感できて見てて楽しかった。

www.youtube.com

そして、当時の人たちの生活を知りたくなってきて「どうしたら知れるの?」と考えたところに、「民俗学」があったわけですね。学校で習う歴史は、世界で起きた大きな出来事を取り上げており、当時生きていた人たちの「生活」までは分からない。その理由は、生活を記録していた人がいなかったからという単純なものなんですけど、「無いなら作ろう」と気合いを入れたのが柳田國男だったということらしいんですね。こんな、ある人からすると常識的なことすら知らなかったことは恥ずかしいけど。

でも、当時の生活を知るのって純粋にワクワクする。江戸時代の人たちの生活とか娯楽とか…なんか、やばくないっすか?知れたらヤバイと思います。

それだけでも十分良いんですけど、せっかく民俗学を勉強するならそれを学ぶ「意味」ってあるのかな?と思い、ダラダラと文章を読んでたら畑中章宏という民俗学者が良いこと言ってました。

長いですけど、良いこと言ってる。

当時ムーヴメントや社会現象になったことには、何かしら人々の感情が関わっています。民俗学では、「歴史」には記録されていない人々の感情を扱うことができる。だから「過去はこうだ」という固定概念に囚われることなく、当時の自分のような市井の人間のことを想像して、感情を見つめ直せる、いわば「時間旅行」が可能になるのです。

民俗学をやっていて、面白いのはこの瞬間です。いままったく新しいと思えるようなことが古いものに依存していたり、古くさいと思っていたことが新しい流行のなかに見つかる。民俗学というツールを使えば、時代に左右されない本質的なことを探すことができるのです。

wired.jp

いやぁ、カッコいいこと言うじゃないすか。「時代に左右されない本質的なこと」なんてものが見つかったら、単純にめちゃくちゃラッキーだと思うんすよね。

ってことで、民俗学はがっつり文献読むなり資料漁るなりして勉強してみようと思いますって感じ。

ではまた〜〜

好き嫌いを明確にすることで視野を狭めるのでは?というモヤモヤ

本/Books 考えたこと/Think

 

物欲なき世界

物欲なき世界

 

 

今日は、池袋のジュンク堂でずっと気になっていた「物欲なき世界」という本を立ち読みしてた。けっこう前からある本だから、今さら感はすごかった。面白すぎて60ページくらい読んでしまったところで「消費に意味を与える」という言葉が引っかかったので、今日はちょっとそのことについて考えることにした。

 

最近周りの人たちを見てて、無意味に消費した結果、消耗してるんじゃないか?と思うことが増えた。ここでの「消費」は、買い物など商業的な消費にとどまらない、広義の「消費」。「行き当たりばったりの消費」というか・・・。そして、自分も例外ではないことを自覚しなければという意識も、もちろんある。

自分が「何を楽しいと思うか?」「気持ちいいと感じるか?」を理解しないまま、とりあえず目先の快楽に飛び込んでる。その、ある種「迷走」とも呼べる一連の行動を終えた後、ちょっとした喪失感に苛まれる。このような感覚を繰り返し味わってる感じがするわけです。これは自分も含めた多くの人たちに共通することかもしれないから、今考えるべき大事なことのひとつだなあとは思う。

自戒を込めて「自分も含めた」と書いたけど、果たして自分はどうなのか?と考えてみると、「好き嫌い」に対して徐々に「敏感」に、そして「正直」になってきたからか、消耗してる感覚は言うほど無いかもしれないなーと。

でも、これって正しいのか?と思う。

というのも、好きなことに取り組むのは絶対的にいいことなんだけど、「正直さ」には危うさもあると思うから。

「危うさ」とは、単純に「視野が狭くなる」ということ。

「選ぶ」ということは他の選択肢を失うということで、最近は自分の好き嫌いに正直になってきてると思うのと同時に、視野が狭まっている感覚を抱くことが多くなってきた。

目的は、好き嫌いを認識することで自分の輪郭を明確にしていくことだったけど、結果的に「好き嫌いを知覚すること」は輪郭を形作っているのと同時に、自分の視野を狭めているというジレンマが起きているのでは?と思っている。

どうしようか?と考えてみたところ、2つの選択肢を考えた。

A)視野を狭めてもいいから、輪は小さくても自分の好きを優先して輪郭を明確にすることを最優先すべきなのか

B)輪郭の明確化を二の次にして、輪を大きくすることを優先し、嫌いなものも柔軟に受け入れるべきなのか

「時期」は、ポイントかもしれない。

20歳というタイミングで、(A)を採用するのはちょっと危険な気もする。一方で、(B)を採用することも必要な気もするわけで・・・。

B)を採ると、「幸せ」といったものはなかなか見つからないと思う一方で、短期的な視点だよなーと思うわけです。長期的に考えると、嫌いなものも摂取していかないと、最終的な「幸せ」のサイズを小さくしてしまう。

なので、結論としては「好き嫌い」を識別する感覚は持ちつつ、嫌いなものにも触れてみる。触れてみたら好きになるかもしれない。逆に「やっぱり嫌いだな」と感じたら、なんで嫌いなのか?と考えてみることで、最終的には自分の視野を広げられると思った。

という、やっぱりどこか腑に落ちない結論になってしまったのだけど、今のところはこのスタンスで行こうと思う。

 

久しぶりにごちゃごちゃと考えたなー。寝よっ。

退屈、ポルノ超特急、想像力

考えたこと/Think

俺は、ガンガン毎日友達と遊んで楽しみたい!遊ばないと寂しい!という性格ではない。自他共に認めるマイペースな性格で、3日くらいの長さだったら1人でもいても、もちろん強がりでもなんでもなく、寂しいとか退屈とかいう気分にはならない。

昨日、音楽編集者・ライターの人が「退屈って感覚を最後に抱いたのはいつだったかな。」とツイートしてて、そういえば俺もいつだったかと考えたけど思い出すのが難しいくらい昔のことだった。

今日は、近所のカフェに行って電気屋さんに問い合わせの電話をかけたり、クリスマスに京都で開かれる「ポルノ超特急」のことで友達と連絡を取りまくったり、今月の残高を確認してお金の見積もりをしたりと、ナゾに慌ただしかった。

夕方頃に家へ帰ると、友達から電話があって「暇なの?」と聞かれた。「暇だけど、退屈ではないかなー」みたいなことを何の気なしに返したら「いいなぁ、暇で。」と、まあ皮肉と愛が混じったことを言われ、なんとなく「俺はみんなと感覚が違うのかなぁ〜」なんてことをぼんやり思いながら電話を切った。

細かい説明は端折るけど、想像力を働かせることって、すんごく大事なことだと実感できることが増えてきた。想像力のある人は大体において優しいし、賢いし、面白い。

想像力、大事やなぁ〜本当に。