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浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

情報に触れすぎると危ねぇんじゃねえかって話

毎朝、起きたらツイッターを開いてタイムラインを眺める。そこにはいつも、一度じゃ全て見切れないくらいの情報がたくさん流れてる。おはよう、新しいガジェットが発売された、学校だるい、Googleが新製品を開発、〇〇逮捕!、今週もあと1日など、タイムラインは開くたびにカオスになってる。その中には、めちゃくちゃ刺激的で、時にはとても学びになるような情報が流れてくる時もある。でも、俺はいつからか情報を常に摂取する毎日にすんごい不安を抱くようになったわけ。なんでかっていうと、見聞きした情報を相手にしっかりと伝えられない経験をしたから。原因は、情報を受けとっただけで「考える」ということをしていなかったからなんだけど、さらにタチが悪いのは、自分が「何者か」になれた錯覚を持ってしまってたこと。

そういう人は少なくないんじゃないか。いわゆる「すごい人」の記事を読んで、何もしていないのにどこか満足感に浸ってることが前の自分をふり返ると多かったように思う。

じゃあ、あらゆる情報に触れるとき大事にしないといけないことは、自分の「軸」だと俺は考えるわけです。

「情報」そのものに価値はなくて、自分の立場や考え方によって価値は決まる。例えば、毎日マンションの清掃をしているおばちゃんが、有名な起業家の成功秘話を読んでも意味がなく、一方でこれから起業する人にとっては大いに価値がある。このように立場などによって情報の価値なんて全く変わってくる、というちょっと考えてみれば当たり前のことを、ここ1年で身をもって理解できたわけです。

だから、何か自分の中に問題意識がない(=軸がない)ときはできる限り情報に触れないようにしてる。むやみやたらに情報を取り入れるのは、何も考えずに好奇心だけで動く人(昔の自分)によくあることだと思ってるけど、これは完全に時間を無駄にしているので、これからも気をつけたい。

今日はそんなかんじ。

「いま1番面白いメディアは、SILLY」に異論なし

「SILLY」というメディアがある。

silly.amebahypes.com

サイバーエージェントが運営しているもので、扱っている内容としては、音楽・カルチャー・グラビア・ファッションなど、パッと見た感じは男性が読みたくなるような記事が並んでいる。

ローンチ当初、俺の反応は「こんなメディアできたんだなあ」程度のもので、軽く流していた。しかし、最近Twitterで「いま1番面白いメディアはSILLYだ。間違いない。」と、めちゃプッシュしてる人がいたから久しぶりにウェブサイトに飛んでみた。

読み始めたのが昼14時くらいで、ちょっと疲れたなと思い時計を見たら17時。それくらい、夢中で読んでいたわけ。

確かにおもしろい。間違いなく、おもしろい。

silly.amebahypes.com

これの導入のところは、グッときた。ウェブの記事で「グッとくる」感覚を最後に抱いたのって、いつだっけか。

『伝説のサーファー』みたいな「こんな人、どこでどうやって見つけてきたんだ…」という記事もあれば、有りがちだけど、ディープで読み応え抜群な「2016フジロックレポート」まで、ラインナップは好奇心を刺激されるものばかり。それぞれのライターの筆力は言うまでもなく強力なんだけど、媒体のフリーダムな雰囲気が他のメディアにはない感じであり、それにより良い塩梅でやんちゃさが出ていて、読み手との距離感がすんげえバランスよくとれてる。ざっくりいうと、そんな感想を持った。

サーファーの記事に至っては、ウェブであんなにクソ長い記事を読めた自分に驚いたくらいよ。それくらい引き込まれたな。

silly.amebahypes.com

すべての記事に対して持った感想は、当然テキストの強さはあるんだけど、次に目を惹いたのが「写真」。最近のウェブメディアに載ってる写真って、加工やら何やらを積み重ねてめちゃくちゃ綺麗に編集してるものが多い。もちろん、媒体の性質やブランドに合わせてその辺を調整することは大切なんだろう。ただ、SILLYには過剰に編集を施した、写真だけが浮いてしまっている部分がひとつもないわけです。それでも、すんごくカッコいい。3時間も夢中になってズンズン読めたのは、テキストのテンションと写真の雰囲気が離れ離れになっておらずストレスを感じなかったから、かもしれないな。

ストリートが好きな人、音楽が好きな人はとりあえず読まないと死ぬことになるだろうし、メディアで記事を作ってる人たちも当然見ておかないと、これまた死ぬよね。そんなことまで感じた最高のメディア・SILLY。有名だけど、それについて持った感想をメモしておいた次第です。

きょうはそんな感じ。

 

 

いわゆる「文化的素養」に対するスタンスとかについて

読んだ。

cakes.mu

おぐら あとは、これも本に書いてあった、テレビは他のカルチャーと比べて浅い、っていうのも、人材の質の問題ですよね。全員とは言わないまでも、テレビ業界の多くの人が、流行りのタレントや芸人にはめっちゃ詳しいのに、最新の音楽とか演劇とかはノーマークだったり。

藤井 文化的な素養って、業界に入ってからじゃ遅いんでしょうね。社会に出る前に、何をどんなふうに見て育ってきたかってことで。やっぱり学生時代に飲み会中心の生活だった人は、ちょっと……。

藤井さんが言っている「文化的素養」について、これはメモ書き半分、ちょっとした意見くらい書いておく。

俺は今まで何度か、様々なカルチャー、音楽とか漫画あるいはファッションなんかについて詳しく知ってると楽しいんだろうなあ。そして、それに対してしっかりとした感想を話すことができればより楽しいんだろうなー、という意識が少なからずあったわけです。いま思い返すだけでも、小中高の12年間は野球とダウンタウンくらいしかカルチャー界隈を見てこなかった自分に対して、大学生になってからやっぱりどこか劣等感は持っていたんです。その劣等感は、よく言われる人としての「教養」が不足していること、そして何より、音楽に詳しい身近な友達たちが、俺が人生で一度も聞いたことのない話で盛り上がるその「内輪感」に対する嫉妬に起因していたんですね。

その軽薄な「嫉妬心」から自分もカルチャーに明るくなって、友達と盛り上がって話をしたいと思い、もともと興味レベルで漁っていた音楽を、半ば意識的に半年くらい聴き込んだ、というわけです。

ただ、この記事を読んで自分のカルチャーに対するスタンスがちょっと良ろしくないんじゃないかと自省を迫られた次第。

じゃあ、カルチャー界隈に対して、理想のスタンスってどんなものか。

過去の醜態を惜しみなく曝け出しながら、少しメモを残しておきたい。

結論からいうと、食わず嫌いをせず、自分が好きなものをクールに見極めて、それに後は身を委ねる。そして、気楽に抱いた感想をふらっと友達に話すことができたら良いね、というもの。

「嫉妬」から湧いてくるモチベーションにはプラスとマイナス両面に作用する2つのケースがある。プラスかマイナスの分かれ道は、自分に対してクールかどうかであって、マイナスに働くときはだいたいにおいて、熱すぎる。残念なことに、モチベーションをマイナスに作用させてしまった俺は、そこまで好きじゃない音楽に対しても(はっきり言えば自分に嘘をついて)「いいね、この歌〜!」みたいな感じで舞い上がっていたわけ。すごくダサい。すごく。

しかし、藤井さんのカルチャーに対するスタンスを著書の中で知ったときに、「あ、オレ完全に間違ってるやん」と衝撃を受け、今の時代において、ある意味とても貴重な藤井さんの「クールさ」に憧れを抱いた。

俺みたいにカルチャーに詳しく「なろう」としてる人間は、「詳しい」の定義を履き違えてる。「詳しい」というのは、必ずしも「幅広く知っている」ということだけでなく、「局所的に知っている」という意味も含まれているわけです。俺が、幅広く知っていることだけを「詳しい」と履き違えた要因を一応説明しておくと、それは自分がTwitterでフォローしている音楽評論家たちにあるんだけど、それは単なる要因であって当然彼らに責任は微塵もない。単純に、彼らは仕事の性質上、幅広く音楽を聴く必要があるから。熱が高すぎると、こういったごく基本的な認識すらできなくなる場合もあるのは怖いなと思った。

藤井さんは今仕事としている「お笑い」に関しても、大学生時代にお笑い全般ではなく「ダウンタウン」だけにのめり込んでたと言っていた。想像力を働かせず、自分の知っている環境だけを見渡した時に「全般を知っている」人が多いから「全般を知ってる=文化的素養がある」という意識が知らぬ間にできていたけど、そうじゃない。すぐ近くの環境だけを見て、それと世界は同じだと思い込んでしまってた好例。

最初に述べた、とりあえず試してクールに気楽に堪能してみるという俺が目標とするスタイルはなにもカルチャーに限った話ではなく、他のあらゆる場面でも意識したい。

 

 

 

怒る人はめちゃダサいから、一緒にいたくない

理由は、大抵のことは丸く収まるから。
身の回りで起きることって後々ふり返ったらだいたいにおいて「なんとかなる」ってこと多いじゃないですか。ましてや、学生の身である俺なんてふりかえると本当に笑っちゃうようなことばっかり。
俺はそういう風に世界はできていると思っているので、怒っちゃうと、怒った自分を「くそダセぇ」とあとで思うことが多い。「なんであんなしょうもないことで怒ったんだろうね。」となりがち。
あと、中学時代、野球部の監督が言ってたことで「怒っても、なにも変わらないよ」と言ってたのが未だに頭にがっつり残ってて、それが怒りそうな瞬間に自分を落ち着かせてくれてる気もしてる。まあ、監督も「え、まじ?」って思うくらいたまに怒ってたけどね。
当然、俺もイライラして何かにあたるときが山のようにあるけど、怒ったあとに良いことがないのもまた当たり前の話で。

怒りたいときはあるけど、怒るのは最後の手段。そう自分に言い聞かせてゆったり毎日過ごしたいね〜って。

「起業自体が目的でも大丈夫」という話を読んで

起業自体が目的でも大丈夫じゃない?的なこととか、いろいろ書いてみた|けんすう|note

 

なんでこのエントリを読もうと思ったかというと、
最近の自分に、何かを始める際に「手段と目的」について神経質に考えすぎてしまってないか?という不安が湧いてきたから。

けんすうさんの考え方にはほぼ同意できて、楽天の三木谷さんの「初めから起業が手段だったわけではなかった」というエピソードはちょっと驚いた。
その考え方をダメと言うつもりは一切ないんだけど、そこに固執して何も始められないのであれば本末転倒なので、バランスは大事だなあと思うわけです。
俺としては、その仕事を選ぶ理由を考えすぎないことを大事にしたい。

もちろん、理由は考えるけどそれに囚われすぎるのはもちろん良くない。もっとシンプルに今魅力を感じてる「クリエイティブっぽい」「お金を稼げる」仕事に素直に飛び込めばいいと考えればいいんじゃないかなって。本当にやりたいことは、やっていく中で見つけていけばいいのかなと。

けんすうさんとここは同意見だったし、ちょっと安心したな。という話し。

 

今日はそんな感じ。

話が長い人

「話が長い人」はたくさんいる。 

話してる最中に、相手の顔をふと見てみると明らかに集中力がなくなってると分かり、それを見て焦る。そこから慌ててさらに話を分かりづらくしてしまう。

話が長くなる原因は、「前置きが無駄に長い」「1つの状況に対する説明が細かすぎる」「伝えたいことが頭の中で整理できていない」の、3つがあると思う。

そんな3拍子を完璧に備えてる人間が、他でもない俺だ。

この悩みは昔からあり、しばしば親や友達から「結局なにを言いたかったの?」と言われてきた。正直、その都度しゃべることに対して自信をなくしてきて、今ではなにかのトピックを話すときに緊張するようになってしまった。

「頭が悪い」と言われればその通りだし、なんならそれだけで話は終われる。だけど、どうしても聞いてほしい話を伝えられない辛さを、この先ずっと味わうのかと考えるとゾッとするので、簡単には片付けられない。

考えてみた結果、まずは2つの方法を試してみようと思う。

1つ目は、結論から述べて、言葉を短く切っていく。よく知られているように、英語の文章が分かりやすいのは結論から述べているから。話の初めに結論を持ってきて、あとに説明を足していく。松本人志や島田紳助みたいなプロを見てると、どうしてもあのオチの作り方に憧れてしまい綺麗な「起承転結」を作りたくなる。でも、まずは、いきなりプロのそれができるはずがないと認めて「結」を最初に持ってくる。ものすごくシンプルだけど、少しは改善されるんじゃないかなーと期待してる。

2つ目は、自分の記憶を辿りながら話すこと。頭の中で立体的に話を組み立てようとすると、「組み立てること」そのものに気を取られて、言葉に詰まったり、話の途中で修正を入れたりすることが多くなる。そうじゃなくて、言いたいことを記憶をなぞりながら出来事が起きた順番に話す。

これは島田紳助が「上手いしゃべりのアドバイス」として実際に言ってたのをYouTubeでたまたま見た。たしかに俺自身も、数少ない綺麗な話しができた実体験をふり返ると、このアドバイスに納得できることが多い。

どっちもシンプルで簡単だと思うけど、まずは意識高く1週間やってみようと思う。

 

 

 

 

「その服似合ってるね」ニューヨークで出会ったおっさんの話 #ニューヨーク旅行記2

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道を尋ねるためだけに入ったハンバーガー屋のお姉さん2人は「あなたたち、クールね。」と去り際に軽く声をかけてくれるし、マクドナルドで、買ったばかりの服を俺が広げて友達に自慢していると隣に座ってたおじさんが「とてもかっこいいね。似合ってるよ。」とにっこり笑って声をかけてくれる。

ニューヨークの人は、かっこよかった。

俺は、いきなり声をかけられることに対して驚くとともに、素直にすんげえ嬉しかった。知らない人に自分が気に入ってる服を褒められるなんて、少なくとも日本では経験したことがなかったことで、「こいつら(アメリカ人)最高だな。」と、旅行中に何度思ったか。

「かっこいい」と言ってる彼らが、本当にかっこよかった。

何がかっこいいかというと、見返りなんて一切求めてないところ。

例えば、ビルゲイツの慈善事業みたいに、公の大きな舞台で無条件で何かに貢献してる人たちはどんなシーンにおいてもかっこよく見えるけど、日常の中でさりげなくそういったことができる彼らは、もっともっとクールに見えた。

俺も若造なりに、裏切られることのしんどさは身をもって理解してるつもりで、そんな辛さを当然彼らも知ってるんだろうけど、それでも見返りを求めない本物の優しさを持った人たちを目の当たりにして、さすがに心震えたし、自分はどうなの?と考えざるおえなかったわけです。

Dragon Ash の降谷建志、金子賢輔、こんなクソガキ相手にいつも相談に乗ってくれる先輩、俺が「この人クソかっけええ」と思う人たちは、いつも何かを「与えてくれる」ではなくて「置いていってくれる」人たちやなあと強く感じさせてくれたニューヨーク旅行だったとさ。

アメリカの朝に対する考え方 #ニューヨーク旅行記1

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9月8日からの10日間、ニューヨークに友達4人と行ってきた。

6月頃に友達と喋ってて「暇だからそろそろ海外行かね?」となり、僕にとって初めての海外はニューヨークに決まった。航空券は片道4万円、宿はAirbnbで1週間1人あたり1万2千円という、「飛行機落ちる以前に飛ばないんじゃない?宿主に殺されて現金片っ端から盗られるんじゃない?その時にはどうやって抵抗する?」といらぬシミュレーションをするほどの安さ。

最終日、せっかくだから1番の朝メシ食べて帰ろうぜとなり、旅行で初めて朝食を外で済ませることになった。場所はニューヨークのどこだったか、ちょっと忘れたんだけど「ブレークファストならここだぜ」とGoogleがおっしゃってた有名店。

中に入ると朝の9時半なのに、満席とまでは言わないけど、なかなかの数の客が入ってた。4人それぞれ違うものを注文し、出てくるのを待ってる時にたくさんの客を見た友達が「こっちの人は日本人と朝の時間の使い方が全然違うよなー。」といって、「あ、確かに!」と思った。

いや、彼らは別に仕事の打ち合わせをしてる様子はなく、何か特別なことをしていたようには見えなかったんだけど、朝からさかんに言葉を交わしてしたそのシーンがすんごい頭に残ってる。

日本人だったら「来週の火曜の夜空いてる?」など、何か「集まる」となると夜が基本になってるんだけど、アメリカのそれは夜に負けない頻度で朝なんだなあと、朝に対する考え方の違いにめちゃくちゃ衝撃うけたわけ。

衝撃だった理由は、最近日本でも「朝型の生活が大事です。ほら、欧米人のCEOは朝がこんなに早いんです!」みたいな記事が増えてきたことからもわかるように、朝型に対する意識が強くなってるけど、俺は全くそんなことなくて完全に夜型。「んまあ、CEOだもんねえ。」と完全に口を開けて眺めてる感じだったのね。

でも、CEOだけじゃなくて国全体のカルチャーがそうなんだということを知ったから、衝撃が大きかった。

普段、目にする記事からは伝わってこないことを目の当たりにできてよかった最終日の朝だったなあ。

 

「ミーハー」は良いヤツだから、決して馬鹿にしちゃいけないと思うわけです

「普通を愛する」なんて、素直になんでも真っ直ぐに受け入れられる人が聞いたらほんと笑っちゃう言葉だと思う。でも、俺のような心が変な方向に曲がってる人間には「自分以外にもそういう人がいるんだなぁ〜」っていう安心感を与えてくれるから救いになるわけです。僕は、「人と違うことが面白い」と思って20年生きてきてその意識によって自分をなんとか維持できてきた男だと思ってます。実際、その意識によって周りから「面白いね」「(いい意味で)変わってるね」と言われたことも何度かあって、その都度嬉しい気持ちになっていました。

ただ、困ったことが起きるのも本当の話で、それは何かというと「普通を嫌いすぎる」こと。「普通を嫌いすぎる」ことで何に困るかというと、まっさらな素直な気持ちで他人と楽しさを味わえないことです。

喜びを共有できない。

例えば、みんなが絶賛してる映画があったら、他人と一緒な感想を述べてもつまらないと考えて、ちょっとズラしたことを言ってやろうという意識が働く。それがウケないときは論外ですけど、それが仮にウケたとしても、どうしても他人と距離を感じてしまう。これに嫌気がさすことは何度も経験してきて、直そうと思ってもなかなか直らない厄介ものです。みんなが良しとするものに共感してみようと、「本質的ではない」と思いながら努力はしてますが、やっぱり違和感がどうしても残る。ここはじっくり向き合っていかないといけない気がしてるので、考えていくことにします。

 

そんな罪悪感を抱く一方で、ポジティブな考え方もできるようになってきた。世の中には「ミーハーはダサい」みたいな考え方が一部に蔓延してますけど、僕はミーハーを見ると心底「良いなあ」と思う。「西野カナの歌詞にうっとりしてる女子」なんかに拍手を送りたくなります。EXILEのTAKAHIROが超カッコいいと思って、TAKAHIROみたいな髪型や眉毛にしてる男も大好きです。これは嫌味でもなんでもなく、素直に「良いなあ」と思うわけです。

どんなことでも、自分が良いと思うものに迷いなく熱中できる人は、憧れにも似た気持ちを抱くことが増えた。

この前、香川のフェスに友達3人と行ってきたんですけど、普段おとなしいその3人が好きなバンドが出てきた時に、文字通り我を忘れてライブを楽しんでたんですね。その姿を見たら、もうなんか、言葉にできない感慨を抱いたわけです。「お前ら最高だわ。俺もそんな風になれたらいいなあ」って。そういう人たちがたくさんいる音楽フェスは、めちゃくちゃに良いものだと何度も思った。

 

hirotosaito.hateblo.jp

 

もちろん「罪悪感」っていうものはあまり良いものじゃないんですけど、少しでもポジティブな考え方ができれば人に対する見方が良い方向に変わることだってあるんだなと。

そんな感じです

 

 

Dragon Ash #モンバス日記

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8月20日・21日の2日間、香川で開かれた「MONSTER baSH 2016」に行ってきた。香川に入る1日前に天気予報を見てみると2日とも35℃超えと分かって「こりゃ死ぬな。」って絶望したけど、終わってみるとやっぱり「最高だったね!マジで!」なんて日焼けで痛む皮膚すら愛おしくなるくらい良い思い出になった。

湘南乃風、MOGOL800、サンボマスター、ORANGE RANGE、Crossfaithとか有名で人気のあるアーティストがいっぱい参加してたけど、俺が1番見たかったのはDragon Ash。今年の2月からハマりだし、4月には名古屋にツアーを見に行った。それから、YouTubeで見るものがなくなったらDragon Ashのライブを見て4ヶ月過ごしてきた。

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1杯430円の讃岐うどんをさらっと食べて、気持ち駆け足で開始30分前にステージに行った。30分前だったから人も少なく、最前列から4列目くらいのところに入ることができた。名古屋でも見た、右足全てに刺青を入れたり、この35℃のクッッッソ暑い日に黒マスクをしたDragon Ashのサウンドスタッフたちが音をチェックしてる様子を見てるとあっという間に30分経ってた。

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14:45分に開演。他のバンドたちは「っしゃあああいくぞモンバスー!!!」みたいに登場してきたけど、彼ら(Dragon Ash)はちょっと俯きながら静かに配置についていたところが、ただただかっこ良かった。「観客のためじゃなくて、音楽をしたいからステージに出てきてんだよ。」と言われてるようで、それだけで鳥肌が立つわけ。

1曲目は「Ambitious」。ボーカルのKjが「ぶっ飛んでこい!!!」と声を張り上げて始まったのが今でも忘れられん。サビの「Ambitious!Ambitious!」でファン全員が声を揃えて歌うのは名古屋の時と変わらずたまらなくて、俺も一曲目なのに声がギリギリ枯れるか枯れないかくらいまで声を出した。

2曲目は「The Live」。ベース・KenKenの演奏から始まるこの曲は、最近の彼らの曲で1番かっこいいと思う。「バンドマンはライブが命」とまでは言わないかもしれないけど、彼らのライブに対する気持ちがどっかーんと書かれてる。(ライブでKenKenのベースを見ると泣きそうになってくるのは俺だけですか。)マジ半端じゃないから、マジ聴いてほしい。

KenKenのツイッターにモンバス2016の「The Live」あがってたからここにも。

 

アルバムの音源でもテンションぶち上がるくらいかっこいいんだけど、YouTubeのライブ映像の方がKenKenのベースが際立っててやばいからそっちを勧める。マジでカッコいいから。

Dragon ash - Bring it~The Live - YouTube

 

(5分39秒くらいからKjのMCがあって、そこから「The Live」始まるんで)

3曲目の「La Bamba」で、会場をロックな雰囲気から一気に夏のカーニバル感でいっぱいにしちゃって、終わったところで一旦MCに。

「10年経ってもダサくない曲たち」もそうなんだけど、Kjの「生き様」みたいなところに惹かれてる俺としてはこのMCは、前回の名古屋と同様に誰よりも集中して聞いた。

モンスターバッシュは、ルールが厳しく「モッシュ」(簡単に言うと、盛り上がった観客同士が身体をぶつけ合うこと)や「ダイブ」などの危ない行為が禁止されている。ライブの合間に「警告」としてスクリーンに「ダイブにより後遺症を患った人もいます」と書かれてて「やめとこ。」と冷静に思ったのをはっきり覚えてる。

でも、KjはMCで「いつだってロックにルールなんてないことはわかってるよなー!?」と言ってのけ、彼らのライブだけダイブをOKにしちゃった。これはさすがにびっくりしたけど、みんなどこかでKjに期待してたみたいで「待ってましたー!!」みたいな拍手と歓声がどっと湧いた。ロックだね。

4曲目は何かな?と思いながらMCを聞いてたら、「俺たちは東京の三軒茶屋ってところからスタートしてさ・・・」みたいなこと言いだして、観客が「???」となると「新曲やります。」とか言い始めて。そして、「光の街」っていう新曲をやってくれた。高いキーの歌い始めで「ゴリゴリ」のロックではなく、Dragon Ashらしい馴染みやすいロックな楽曲だった。

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そして、5曲目。「これが最後」とKjが言い、まだ歌われていない曲で誰しも頭に浮かぶのは「Fantasista」。Dragon Ashが一度もライブのセットリストから外したことがない曲。2002年の日韓W杯のテーマソングにもなってたから、「聴いたことあるな・・?」って人も多いはず。

「ウオーーーウオーーーウオーーー」っていうお馴染みの歌詞を叫ぶ観客と、Kjの掛け合いが泣けるくらい最高な曲で、「ヤベーー!ヤベーー!」ってなってたところに、予想外なことにDragon Ashと同じ頃デビューした「RIZE」のJessieや、「Man with a mission」のトーキョー・タナカが乱入してきて「マジカーーーーー!」となりステージも観客も発狂してた。

Jesseはモンバスに出てたけど、Man withは参加してなかったので、トウキョー・タナカはDragon Ashのライブに乱入するためだけに讃岐まんのう公園まで来てくれたわけ。トウキョー・タナカもすごいけど、Dragon Ashがいろんなバンドにリスペクトされてんだなあって感動もあった。

セットリスト終了後、Kjはダイブを解禁したことを背景に「俺らみたいなバカに応えてくれたお前らも、最高のバカだ!!!」と言い放ち、会場を盛り上げるだけ盛り上げてクールにステージ裏に消えていった。

  

自分の中で「Dragon Ashブーム」は静かにこの半年間ずーっと続いてるんだけど、あいつらクソかっこいい。あえて大袈裟に言うのならば、聖域として美しいとでも言えばいいんすかね。歌とかトークとかではなく、バンドの存在そのものが超美しい。伝わるかな、これ。本当に良いものは言葉にできないところで共感できるからいつも「美しい」って言葉に頼っちゃうけど、なんとか伝わるかね。

決して「なにかを伝えるため」に書いてきたわけじゃなく、日記として書いてるんだけど、ここだけは伝わるといいなあと思ってる。

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