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浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

感動の対象を見極めること

今日、くいしんさんのブログを読んで感じたことがありました。

それは、何か刺激的なものに遭遇した時に、自分は何に感動しているのか?を自分で見極めることって結構たいせつなんじゃないかという話です。

くいしんさんのブログでこんなものがありました。

 

このエントリについて別の場所で感想を書いてるんですけど、今回は違う感想を書いておきたいと思います。

文中に、こんな一節があります。

 

すべての瞬間が「たったそれだけのこと」だったとしても、そんな自分を徹底的に肯定してやりゃあよくね?って話です。

たったそれだけのことでもそれらを全部肯定してあげればいいっていう考え方に、僕はめちゃくちゃ共感できたんですけど、その時に「何に自分は感動していて、何を肯定しているのか?」を自分の中でしっかりと明確にしておいたほうがいいんじゃないか?と思うんですね。

 

なぜか?

 

それは自分が感動している対象を見誤ると、自分が心の底から望んでいたものとはかけ離れた場所にたどり着いちゃう時があるからです。

 

そういう時ってありませんか?

 

例えば、Instagramに写真を投稿している人間の心理なんかはもっとも簡単な例だと思います。

 

Instagramに投稿している人たちは、毎日の中で起こった出来事に感動しているから投稿しているのではなくて、投稿して「いいね」をもらえる自分に感動しているんですね。「感動」という言い方が適切かどうかは置いときます。

 

感動の対象を気づかないうちに見誤ってるわけです。

 

いいねをたくさんもらっているにも関わらず、人間は急に寂しくなり、ある時には「孤独だなあ」とか言い出すその時が、感動の対象が違ったと理解できる瞬間なんですね。

 

こういったことは、本質的には一緒なことが身の回りで毎日たくさん起こっていると思います。気づかないだけで、たくさん起こってる。

 

僕も、対象を見誤ってることに気づかない時がよくあるんですけど、最近は何かに刺激をもらった時に、自分はなにに刺激を受けているのか?を、一旦立ち止まって考えるようになりました。

 

これは、これから先もちゃんと意識していきたいことです。

それでは今日はこのへんで〜。