浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

「認められたい」ときに大事にしたいこと

いつも僕が書いてるブログは、その日思ったことを形にして、ただただ並べてるだけです。
前に、「ブログは、近くにいる具体的な誰かに向けて書くのが良い」という、すんごい的確なことを隠居系男子の鳥井さんがおっしゃていました。
それにすごく共感して「よっしゃ、そうやって書いたろ」と気合いが入ったんですが、ふと自分のブログを見返してみると「特定の誰かに向けて書いた」ブログはそんなに多くなかった。(笑)
ほとんどの対象が「自分」だった。ただ、今日、そんな拙い自分が書いたブログを、ちょっとだけ褒めてもらえたんです。三浦さんのツイート。(スクショで申し訳ない…)
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いやあ、何者でもない自分がこうやって評価してもらうのは素直に嬉しいし、書いて良かったなあと思いました。

今日は、ここで考えたことを書いてみようと思います。

「他人ありき」な自己承認欲求

なんで嬉しいと感じたのかというと、いわゆる「承認欲求」を満たせたから。こいつは、自分が人生をご機嫌に生きてくためには欠かせないものだと思う一方で、それと同時に「虚しい奴だよなあ」と思うときもある。満たされてるのになんで虚しく思っちゃうのか…。
それは単純に、「自己承認欲求」は他人本位だからだろうなと。「他人ありき」で成り立つもので、自分の中から湧き上がってくるものではない。

じゃあおまえは承認欲求をどうすんねん

じゃあ、自分はその欲求をどう思うの?と聞きたくなりますよね。なりませんか。
ぼくは、「他人から認められること」そのものは当然大事だと思ってて。それはなんらかの形で結果出してるってことだし、常識から逸脱していないとも言えますしね。

ただ、他人から認められるまでの「過程」が大事だなぁとは思います。当たり前の話として、「あの人に認められたい」とか「SNSでフォロワー増やす」のようなことを、目的にしてしまうのは愚かすぎる。
他人本位の動機でなにかを成しても、最終的には意味がないなというか。ここでの「意味」は人生レベルの深いっていう意味です。結局は、誰のためでもない、気づいたらハマってたんだよねーみたいなことを大事にするべきだと考えてて、その後に「企み」が湧いてきたら、それは間違いなくホンモノだと思うんですね。何かに夢中になる以前に生まれた「企み」は、どこまでいっても「思いつき」でしかないよなあということですね。

自己承認欲求を満たす上で大事にしないといけないのは、「夢中⇨企み」の流れ。これをちゃんと認識して過ごすのは、これからの時代とても大事になるんじゃねえか。

ザッと書いてみましたが、見城徹さんの本を読み終わったタイミングで色々思うことがあったので書いてみました。「てめぇ何様だ」と思った方にお詫びをしつつ、きょうは終わりとしたいと思います。

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