浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

「井の中の蛙」って、かっこいいのよ

昨日友達と話してて、「新宿のことなら任せといて」というノリで新宿のことについて話してくれました。会話の中身はくだらないことで「渋谷は『ふつうのレベル』の綺麗な人がたくさんいる。新宿は綺麗な人の”数”は少ないけど、『飛びっきりレベルの高い』綺麗な人の割合は渋谷より多い」とか「新宿は渋谷よりも都会で、東京一の街だよ」など。

この意見の是非は置いといて、これを聞いたときの僕の気持ちは「新宿はオレが一番よくわかっているんだ。」と言わんばかりの態度に対する、嘲笑でした。「東京出てきてまだ2ヶ月の人間が、全てを分かるはずなんてないやん(笑)」とバカにする気持ち。

ただ、家に帰ってる途中で「ああやって、ある種『井の中の蛙』になることって、意外と大事なんじゃないか?」とも思ったんです。

嘲笑してたのは、新宿の知識に対する羨ましさがあった一方で、どこかダサいと思ったからです。その友達より新宿に詳しい人なんて五万といるのに、「自分が1番知ってる」みたいな態度でモノを語るってのは、ダサい。じゃあ、なんで「ダサい」という評価だけで終われなかったか?というと、「人の目を気にしてる自分のほうがダサいんじゃない?」と思ったから。

今ってスマホ越しに、余裕で世界中の「すごい人たち」が見えてしまうじゃないですか。僕はその人たちを見てしまっているから「自分なんて…」と自信を無くしてしまってる気がして。
仮に「語れること」があったとして、その「すごい人たち」の実力や知識の豊富さが足枷となり自分が思ってることを話せないというのは、やっぱり惨めだなあと。
彼も「自分より詳しい人はたくさんいる」ことは、当然分かってるはずです。それでも、自分が語りたいことを堂々と話す。それはダサくないし、むしろカッコいい。

堂々と、自分が思ってることを話していきたいなあ

そんな感じです。