浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

赤羽、ブログ、叫び

読んだ。

最近のいわゆるブロガーが書くブログって文章が保守的すぎる。

神奈川ドライブが終わって赤羽でほろ酔いになり帰宅したら、くいしんさんのブログが更新されててテンションが倍に上がった昨日の夜。

読んだあと、率直に「あぁ俺は間違ってないんだな」って思った。

俺はだれかに“何かを伝えたいから”ブログをしてるんじゃなくて、ただ自分のことを書いてるだけだから。

となると、今回のくいしんさんのエントリの対象からはちょっと外れるかもしれない。

だから今回は、考えるきっかけを与えてくれたくいしんさんに感謝を込めつつ、自分のスタンスを改めて書いておくことにする。

ブログをたった3ヶ月書いて起きたこと - 浪 漫 書 簡

おれはその日に思ったことを、文書の体裁は、ある程度は気にするけど、感覚としてはダラぁ〜っと言葉を並べていく感じ。

「なんで自分のことを書いてるの?誰も興味なくない?」って言われたら、完全同意。全くその通り。
でも、いまの俺は、世で1番尊い「時間」ってやつを費やしてまで「伝えたいこと」を探したところで、そんなに簡単に見つからんのよ。探したけど、見つからなかったの。

「伝えたいこと」がある人に対して憧れを抱いた時もあって、それに情熱を注いでる人が、今もめちゃくちゃ羨ましい。

だけど、伝えたいことがない。かと言って、何もやらないのは退屈でしんどかった。

だったら自分自身の日記でも書こうと。3年経ったら見返してみて、それで成長を感じたらそんなにラッキーで感動することはないやん、みたいな。でも、もしそこに成長がなかったとしても、書いてきた文章を見てニヤニヤするのも悪くないやん?とも思ったわけ。

ただね、そんな風に書いててても、時たまシェアしてもらえたり、いいねをしてくれる人がいたり、はたまた面と向かって「いいね〜」って言ってくれる人もいる。

なにも伝えようとしてないのに、読んだ人に響いてることがこの3ヶ月の間に結構あって。

その時の刺激は、けっこう心地よかった。

おれの好きなU次郎さんのツイートが腑に落ちたから引用させてもらう。

「自分の気ままな想いがうっかり誰かに届き、伝わる」ってことを、「美しい」と捉えられるほど俺は豊かじゃなかったんだけど、「あぁそういうの良いよな〜」とは思った。

 

「書く対象を自分にすること」のメリットは、嘘をつく必要がなくなることで。

そして、嘘が1つもない自分の想いに共感されると、自分の想いにがっちりとした自負が持てる。

この循環って、本当に良いなあって思うのよ。

おれのモチベーションを、敢えて言葉にするなら「伝えたい」より「叫びたい」って感じ。

なんか、かっけえな。

そう、叫びてぇ。

そんなかんじ。