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浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

いとこが30歳で亡くなってから1年。今思うこと。

日記/diary

いとこが亡くなってから、今日で1年経った。

30歳だった。

1年前の今日、夜10時ころだったかな。そんとき付き合ってた彼女を秋葉原の駅で待ってたら、息子シックな父からの着信。「出るのめんどいなぁ…」と思いながら電話に出た。

どした?と聞くと、「ヒロト、覚悟してな」のひと言。

酒が好きで陽気な父から「覚悟」なんて言葉を生まれてから1度も聞いたことがなかったからドキッとした。同時にだれか亡くなったんだろうなと直感した。

うちには85歳のおばあちゃんがいる。歳的には、おばあちゃんかな…。うーん、そっか…。

そう思ってるところに電話から「みほが死んだ」と聞こえて。

よく「言葉が出ない」とか言うじゃないですか。あれはちょっと不正確で。言葉が出ないというより「声が出ない」。声帯を震わすことができないって感覚。

本当に、「みほが死んだ」と聞いてしばらく声が出なかったのよ。そして、不思議と涙も出なかった。ただ平然と、明日は何時の電車に乗って帰ってこいみたいな事務的な話を淡々と冷静にしてた。時折、「ほんとに死んだの?そっかぁ…」と確認するくらいで、変に落ち着いてた。

でも、電話を切ってから、自分でも驚くほど馬鹿みたいに涙が出てきて。ほんと、泣くなんて頭に全くなかったし、ついさっきまでは本当に冷静だったのに。ましてやここは秋葉原の駅。人前でこんなに泣く自分に戸惑うくらい、とにかく泣いた。

底抜けに明るくて、太陽みたいだったあの人がもういねぇんだ。

去年、「天使」って言葉がドンピシャの息子が産まれたばかりだろ?結婚してまだ2年だろ?昨日、インスタでつぶやいてたよね?夏休みはお盆に会おうって、玄関で手振ったよね?あんなにゲラゲラ笑ってたのにさ、なに?「死んだ」って。寂しくて悔しくて腹が立って、信じられなかった。ふっざけんなまじで。ほとんどキレてた。

なんか、気付いたら保育園から一緒の友達に電話してて。無意識に電話してたから人間て不思議だ。今思うと、あの寂しさを紛らわせたかったんだろうなぁと思う。

 

実感は、遺体の入った棺桶を見ても全然湧かなかった。棺桶から出されて、布団に寝かされている姿を見ても湧かなかった。

遺体と対面した家族たちの嗚咽だけが家の中に響いて、おれはただみほちゃんの顔を見ているだけ。「死んでんのか?死んでねえんじゃねのか?いや、死んだんだなぁ…」と、ずーっと同じことを逡巡してた。不思議と泣くこともなく、久々に会った親戚と談笑してたりもした。そんな感じで葬儀を迎えた。

皮肉にも、お通夜の日が亡くなった本人の誕生日。葬儀当日が、遺された1歳の息子の誕生日だった。祭壇では、俺が小さい時から羨ましく思ってた愛くるしい笑顔で、こっちに向かってピースしてる写真が飾られてた。

ただ、そんな写真を見てもまだ実感は湧かなかった。いや、なんか、本当に生き返ると思ってたんかな。みんなもそう思ってたんじゃないかな。他愛もない会話をして、クスッと笑ってたし。でも、会話が途切れるとため息しか出ない。そのため息が、みんなまだ信じられてない証拠だったように思う。

葬儀が終わり、火葬場へ。

到着した後、みんなでお経を挙げ、親戚一同順番にみほちゃんの顔を見て手を合わせた。

俺の番が回ってきてそっと顔を覗き、不謹慎かもしれないが、多分「死」を確認したかったんだろうね。俺はみほちゃんの額にすっと手を当てた。

そん時、「みほが死んだ」という電話越しに聞いたあの父の言葉をやっと理解して、すんげえ泣いた。びっくりするくらい冷たくなってた。

素直に「マジで死んでんじゃん。死んでんじゃないよみほちゃん」って。そこからは力が抜け落ち、ぼーっとしながら焼却炉へ向かった。

「焼却炉」は、本当にこの世界から身体がひとつ消える場所。亡くなったみほちゃんのお父さんが涙を拭いながら、焼却炉の前でみほちゃんの顔を黙って覗いてた。

ただただ、黙って眺めてた。

係りの人が「それでは…」と言葉をかけると、お父さんは頷き、焼却炉に棺桶の先が入り始めた。すると、それまで黙ってたお父さんが慌てて「もう1回、いいですか…」って。

今度は、静かに名前を呼びながら愛おしそうに顔を撫でていた。しばらくして、こくっと頷き、係りの人が焼却炉へもう一度棺桶を入れ始めた。

そしたら、それまで静かだったお父さんが急に「みほ……」と何度も呼びかけた。震えてた。

その光景は、地獄以外の何物でもなかった。親が娘の名前を焼却炉に向かって泣き叫ぶその画は、地獄そのもの。

自分の身体になにか重たいものがずっしりと乗ってる感覚があったのを、いまでもはっきり覚えてる。もう1人も死なないでほしい。たとえ寿命でも、死なない発明をだれかにしてほしい。最先端テクノロジーの開発なんてしてないで、生き返らせる技術だけを開発してくれればそれでいいんだよってね。

とにかく、世界から誰もいなくならないでほしい。そんなことを本気で思ってたな。 

 

あれから1年。

昨日の夜、この1年をぼーっとふり返ってたら、明け方まで眠れなかった。

6月30日を最後に更新が止まったみほちゃんのインスタを見たり、1年前の7月1日に聴いてた曲を、何度もリピートしたり。 

泣くつもりなんてさらさらなかったのに、インスタ見てたらぐわああっと泣けてきたりしてね。

亡くなってから周りの友達や知り合いは、「亡くなることは運命なんだよ。受け入れてこれから頑張るしかない」って言ってくれた。

でも正直「お前が言うな」と、そう思った時もあった。そんなことを思いつつも、ずっと立ち止まってたら死ぬまでこのままだと思い、いい加減に姿勢を正すことにした。

そんで、この1年間は必然的に自分の生き方を考えて。

考えて、彼女の人生をふり返った時に、彼女の生き方がどんなに美しかったか。そして、それと同じかそれ以上に、苦悩に満ちた30年だったか。

それが、頭がぼーっとするほどわかったのよ。

ただただ、彼女の存在そのものが「美しい」って感じた。美しいってこういうことなんだって。美しいってのは、何もしなくても、ただ存在するだけで魅力的で、音を立てずに静かに輝いていて、人を優しく包み込んでくれるものなんだと。

「人の役に立つ」という言葉に対して、ずーっと疑念を持ち続けてきた自分だったんだけど、彼女を見てその言葉の真意が少しわかった気がする。

彼女は、着物屋をお父さんと商っていて、お客さんに対してはもちろん笑顔。でも、親戚である僕らに対してもずっと笑顔だった。もちろん、時折苦しい表情をしてる日もあったけどね。それでも、次の日にはまた笑って接してくれた。

そうやって、笑顔と底抜けに明るい性格で、人を幸せにしてきた彼女の人生を見て、俺は少しだけ「死」に対して希望が持てた感じがするのね。それは、人のために自分の人生を捧げることで、自分の「死」を輝かせることができるんじゃねえか?って思ったから。真っ黒だった「死」というものが、自分の中で少し変色した感覚がある。

いや、

彼女は「人を幸せにするために」生きてたんじゃなくて、「自分の生を全うするために」生きてたのかな。じゃないと、あんな真っすぐで明るいエネルギーで生きることはできねえな。

そんな、自分の生を全うした彼女を見て、俺もそんな生き方をすると決めた。

生き方を模索し始めた当初は「人を幸せにすることが大事だ」って思ってた。

でもね、幸せを求めるのはいいけど、幸せっていうとどこか不安定で腹に落ちなかった。そうやって、胸糞わるい毎日を過ごしてる時に、

「幸せじゃなくて、歓喜なんだよ」

という言葉を聞いた。幸せってのは相対的なもので、歓喜は絶対的なものだと。

彼女の人生は、歓喜だったんだろうなあ。

「亡くなった人の分まで毎日を一生懸命生きよう」ってのは、当時よく言われたことで、超同意なんだけど、その「一生懸命生きよう」の説明をしてくれと。そう思ってた。

でもね今は、一生懸命生きるってことは「精一杯の歓喜で、感動とともに生きること」なんじゃねえかなって、恐縮しながら思う。マジで思う。

 

1年経った今でも、悲しみはちっとも減らなくて、むしろ時間が経つほどに増えていくもんだなって気さえする。誰や、「時間だけが悲しみを癒してくれる」なんて言ったのは。

もう1回、最高に美味いあの手料理を食べさせてほしいし、自慢のトークで息ができなくなるくらい笑わせてほしい。たくさんの思い出とお願いが今になっても溢れてくるんだけど、もういないんだもんねえ。

本当にいないんだ。

寂しい。悲しい。もう、この寂しさと悲しさは死ぬまで消えないんだろうなあ。でも、ずっと落ち込んでる姿を見られたら、やっぱやべえなって思うし、歓喜の人生をきっと彼女も望んでると思うから、なるべく落ち込まないようにする。

みほちゃんには、「またね」とか「ありがとう」とか「これから頑張るね」を伝えたいんじゃないのよね。

「俺の人生、見ててね」って言いたい。

みほちゃんの人生に負けないくらいね、歓喜の人生を見せるからそれを見ててねっていう感じだな。

そんな感じです。

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(1年前の今日の夕焼け)