浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

やっぱ「どこで」じゃなくて「誰と」やなぁって

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(伏見稲荷大社)

京都旅行で思うことが色々あったから忘れないうちに書き留めておく。

帰りのバスの中で友達と「どうだった?」とふりかえってるときに、「『どこで』なにをしたか?じゃなくて、『だれと』なにをしたか?が大事なんだねぇ」と友達が言ってて。

これは、今思うとどこでも言われてることだなって思ったけど、その時は深く納得できた。言葉として聞くのと、自らの体験を以って聞くのとではインパクトが違う。

「旅行」としては及第点に満たないほどの薄っぺらいものだったと思う。仲が良い分、小さな喧嘩も3日間のうちに何度かあったし、内容としても家でゴロゴロする時間が長かったり、3日間とも河原町で遊んだり。

文字だけ見たら「クソ旅行」と言われても仕方ないと思うのよ。だけどね、声が枯れるくらい笑ったのは久しぶりだったし、家でくだらないことをして笑ってた時間をもう一度過ごしてぇなって思うわけ。

要は、「嫌いな友達といくニューヨーク」と「大好きな友達と部屋で過ごすくだらない時間」のどっちが思い出に残るかって話で、おれは後者だなと。

これって、新しいことを始めるとき、いつもと違う人が集まるコミュニティに入るとき、あるいは働き始める時にめちゃくちゃ大事になるなぁって。

単純な例でいえば、給料がいい職場を選ぶか、給料は前者と比べたら低いけど、目指すところが同じで、ベクトルは違えど根本的な価値観は同じ人たちがより多く集まってる職場を選ぶか。

前者のような無機質なモチベーションから「愛」の込もった温かいものが生まれるはずはないじゃない。

そうなるとやっぱり嫌だから、いかに「だれと」っていう要素を重視した選択をするかってのは大事になるなぁって思ったのよなぁ。

そんなかんじです