浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

『バランスなんて、糞だよ』

最近は、「歓喜!愛!」と暑苦しいことを叫んでる俺だけど、時間の使い方を考えてたら色々思うことが増えてきた。

時間っていうのは、人間にとって1番貴重なものでリソースの配分をミスるとしんどいことになる。

それで、歓喜とか言ってる俺は、自分の「時間」を歓喜するためだけに使いたいと当然のように思ってる。

歓喜ってやつは、自分のことを好きになる瞬間の連続だから、文字通り「絶対的」なもの。他のなにかに左右されることはないの。

他の何かに左右されないというか、他のなにかを受け入れた時点でわずかな揺らぎが出てくるので、「外に遠慮しない」という言い方がいいか。

俺の言う「歓喜」ってそういうもの。

じゃあ、相対的なことは、ちゃんと排除しないといけないことになる。常に自分の中に軸を置いて、孤独に晒されながらもなんとか立っている、そんな強さをオレは持たないといけないわけ。ただ、やっぱり不安があるのよ。世の中の人の大半は、おれの絶対性と相容れないことがほとんどだと思う。「あいつは冷たい」「器の小さい人間」とか言われることが、どうしても怖い。

ちょっと前、先輩にメシへ連れてってもらって話したなかで、「バランスなんて、糞だよ」と言われた。

俺みたいな恐怖感を持ってる人は、つい「嫌われずに自分のやりたいことをやる方法」なんてことを人に聞いたりしちゃう。でもそれは、人生の仕組みにおいて不可能なことだからトレードオフをしないといけないんだよ、と。

要するに、相対性を孕むものは片っ端から排除していかないといけねぇの。いまこの文章を書いてる時も「片っ端から」の部分を「できるだけ」と書こうとした。こんな小っちゃいことからでも、自分はバランスを取ろうとしてることが分かる。

バランスをとること自体は悪くないんだけど、俺みたいに「絶対的な!」とか言ってる人間はどこかでトレードオフをしないと駄目だってこと。

うーん、どうすっかなぁ〜〜

そんなかんじです。