浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

同級生が死んだ

昨日、朝まで友達と家で飲んでて結局朝の7時くらいに寝た。寝て起きたら、親しい友達から「Aくんが死んだ。」ってLINEが入ってて。20歳だった。

俺とAくんは喋ったことはなくて、高校のとき教室が隣だっただけ。でも、Aくんは文化祭でまあまあ目立ってた子でイケメンだった。多分、あっちは俺のこと知らないだろう。

そんな薄っぺらい関係性だったんだけど亡くなった知らせを聞いたら、付き合いの長い友人が死んだ時みたいな気持ちになって。なんというか、確かに関係は薄いし、仲の良い奴らから見たら「おまえ誰やねん」ってなると思うんだけどね。

俺、中3の時におばさんが50歳で亡くなって、その頃から全く赤の他人でも「亡くなった」という知らせを聞くと、まるで自分の身内が死んだかのように悲しくなって落ち込むようになった。亡くなった本人や遺族の気持ちをすんごいリアルに想像しちゃって、落ち込んでしまう。テレビで有名人が亡くなったということを聞いても、同じようなことが起きる。

ひとしきり悲しんだ後は、ちょっと冷静になって高校の担任の先生が言ってた「卒業したら同級生が死ぬってことは十分起こりうるからな」って話を思い出した。その時は「まあそれはあり得るよなあ」という程度でふわりと受け止めてたんだけど、いざこうなるとやっぱりなかなか重い。

 

連絡をくれた親しい友達はA君と仲良しだったらしい。俺は、その子にかける言葉が見つからなくて、「悲しいなあ」とだけ送ってLINEは終わった。

俺も1年前にいとこが30歳で亡くなったばかり。

 

hirotosaito.hateblo.jp

 

んで、それから周りの友人に言ってきたことが1つだけあって。それは「人って、本当に死ぬんだよ」ってこと。

これを聞いた友達は、みんな「当たり前やん?」って顔をする。そう、そんなことはみんな知ってる。それでも、俺が1番言いたいのはそれなのよね。亡くなってしばらくしてから「あ、もう会えないんだ」ってふと気付くときがくるわけ。

会いたい人がどんなに遠い所にいたとしても、本気出せば必ず会える。会うことくらいは絶対できる。でも、死んだら会えないの。マジで会えない。超当たり前だけど。

誰かが亡くなると「友達を大事にしよう」とか「毎日一生懸命生きよう」とか多くの人は言う。それは絶対に正しくて異論は一切ないんだけど、友達みんなに言いたいのは、「まずは、『人は死ぬ』ってことをちゃんと認識することが1番大事だと思うのよ」ってこと。

それを腹の底から認めることは俺にとってすんごい残酷なことなんだけど、1番大事なことのような気がしてる。

「死」は、当たり前の尊さが1番分かる。

その尊さが分かれば、今回の彼の死がほんの少しは報われるんじゃないかなって。

1人死んでも世の中はいつもと全く変わらないという虚しさを覚えながら、今日はA君のことを考えていようと思う。

そんな感じです。