浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

「やりたいことが見つからない理由」と、「意味を考えることの無意味さ」について!!!

f:id:hirotosaito0122:20160807182548j:image

最近、そろそろ何かやろっかなーという気になってきたから、何しようか考えてた。でも、見つからなかった。んで、「やりたいこと」が見つからない理由を考えたら「人のために動こうとしてるから」って分かったわけ。「これをやって喜ぶ人はいるのか?」「これは世の役に立つのか?」そんなことばっかり考えてしまってた。

「人のために」っていう動機はすんげえかっこいいし、良いものだと思うし、一定の尊重はしてる。
だけどね、人のために生きる必要性に縛られて、苦しむ必要はこの世に1ミリもない。もちろん、誤解を恐れずに言ってる。
理由は、人のために頑張ると、どこかで自分に嘘をつく可能性が高くなるから。「人のために頑張る」という動機をもとに動くと、結果的に自分を騙さないといけなくなる可能性が高い。すんごく偏った視野の狭いこと言ってるのかもしれないけどさ、「フィーリングに身を任せる」ってスタンスの俺はそう思う。

だいたいなんなんすか。「人の役に立つことが至高の美徳!!」みたいに喧伝したやつは。古くせえぞ、そんなの。(いや、それは言い過ぎか?)

でも、世の中にはその言葉に感化され「自分も社会のために役立ちたい!」と立ち上がる人もいる。ほぼ何も考えずに直感的に動き出すのは、あえて刺激的に言うと、すごくダサい。「行動」そのものじゃなくて、その「姿勢」がダサい。

また違うところに目を向けると、そんな無責任なことを高らかに掲げられて苦しむ人もいる。それで、みんな存在価値を見出せなくなって自殺しちゃう人が出てくるのよ。

「人のために頑張る」のも良いけど、もっと自分のフィーリングに素直になって生きたい。

一見アホなようだけど、すげえ大事なことやと思ってる。

 

それとね、何もかも自分がやることに「メッセージ」は無くていい。そう思ったのはこの記事を読んだから。

www.e-aidem.com

そう、メッセージなんか無くていい。だって、柿次郎さんのこの記事には、結果的にはメッセージがあるけど、記事を書く前から「みんなの為になにかを伝えなきゃ!」という気持ちは無かったはずじゃないですか。そうじゃなくて、本当の原点は柿次郎さんの「好奇心」そのもの。

メッセージを込めるか否かはどうでもよくて、好奇心を大事にしたほうがいい。
タモリや奥田民生、そして岸田繁の「意味なんか無くたっていいんだよ」という言葉の真意が分かった気がする。「伝える必要なんてなくて、自己満でいいんだよ」ということを言いたかったんだろうね。

一見、風変わりで殺伐とした印象を受ける彼らの言葉は、苦しむ人たちを救ってくれる愛の言葉だったんだなぁって。そう思わないすか?ちゃいますか?違うならそれでいいんですけど。

念のため意味について書いておくと、「受け手」としてあらゆることの「意味」を考え抜くことは大事だけど、「作り手」として「意味」をガッチガチに考える必要は無いんじゃないか。それで苦しむ必要はないんじゃないのか。

そんなかんじです。