浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

好き嫌いを明確にすることで視野を狭めるのでは?というモヤモヤ

 

物欲なき世界

物欲なき世界

 

 

今日は、池袋のジュンク堂でずっと気になっていた「物欲なき世界」という本を立ち読みしてた。けっこう前からある本だから、今さら感はすごかった。面白すぎて60ページくらい読んでしまったところで「消費に意味を与える」という言葉が引っかかったので、今日はちょっとそのことについて考えることにした。

 

最近周りの人たちを見てて、無意味に消費した結果、消耗してるんじゃないか?と思うことが増えた。ここでの「消費」は、買い物など商業的な消費にとどまらない、広義の「消費」。「行き当たりばったりの消費」というか・・・。そして、自分も例外ではないことを自覚しなければという意識も、もちろんある。

自分が「何を楽しいと思うか?」「気持ちいいと感じるか?」を理解しないまま、とりあえず目先の快楽に飛び込んでる。その、ある種「迷走」とも呼べる一連の行動を終えた後、ちょっとした喪失感に苛まれる。このような感覚を繰り返し味わってる感じがするわけです。これは自分も含めた多くの人たちに共通することかもしれないから、今考えるべき大事なことのひとつだなあとは思う。

自戒を込めて「自分も含めた」と書いたけど、果たして自分はどうなのか?と考えてみると、「好き嫌い」に対して徐々に「敏感」に、そして「正直」になってきたからか、消耗してる感覚は言うほど無いかもしれないなーと。

でも、これって正しいのか?と思う。

というのも、好きなことに取り組むのは絶対的にいいことなんだけど、「正直さ」には危うさもあると思うから。

「危うさ」とは、単純に「視野が狭くなる」ということ。

「選ぶ」ということは他の選択肢を失うということで、最近は自分の好き嫌いに正直になってきてると思うのと同時に、視野が狭まっている感覚を抱くことが多くなってきた。

目的は、好き嫌いを認識することで自分の輪郭を明確にしていくことだったけど、結果的に「好き嫌いを知覚すること」は輪郭を形作っているのと同時に、自分の視野を狭めているというジレンマが起きているのでは?と思っている。

どうしようか?と考えてみたところ、2つの選択肢を考えた。

A)視野を狭めてもいいから、輪は小さくても自分の好きを優先して輪郭を明確にすることを最優先すべきなのか

B)輪郭の明確化を二の次にして、輪を大きくすることを優先し、嫌いなものも柔軟に受け入れるべきなのか

「時期」は、ポイントかもしれない。

20歳というタイミングで、(A)を採用するのはちょっと危険な気もする。一方で、(B)を採用することも必要な気もするわけで・・・。

B)を採ると、「幸せ」といったものはなかなか見つからないと思う一方で、短期的な視点だよなーと思うわけです。長期的に考えると、嫌いなものも摂取していかないと、最終的な「幸せ」のサイズを小さくしてしまう。

なので、結論としては「好き嫌い」を識別する感覚は持ちつつ、嫌いなものにも触れてみる。触れてみたら好きになるかもしれない。逆に「やっぱり嫌いだな」と感じたら、なんで嫌いなのか?と考えてみることで、最終的には自分の視野を広げられると思った。

という、やっぱりどこか腑に落ちない結論になってしまったのだけど、今のところはこのスタンスで行こうと思う。

 

久しぶりにごちゃごちゃと考えたなー。寝よっ。