浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

「分かる人に分かればいい」について

以前このブログで紹介した、久石譲さんの著書「感動をつくれますか?」の中で、以下の文章にアンダーラインを引きました。きょうは、それに対して考えたことをまとめておこうと思います。

1人の人間の個人としての人格と、職業人としての人格は、基本的に別物だ。

 

人に喜んでもらう、人のためになる音楽を作りたい、とは思うが、人の評価を意識して作るということではない

今まで「分かる人に分かればいい」という考え方で生きてきた部分がある自分を、「ちょっとそれ、どうなの?」と怪しげに見始めたタイミングだったので、この一節は刺さりました。

そのワケは、分かる人に分かればいいと考えてるときは「大体において楽しくないから」という単純なものです。例えば、笑いを取りにいこうとしてYouTubeで見たベテラン芸人の面白いフレーズを試しに使ってみると「?」という反応をされる時がありますよね。え、ないですか。俺だけですか。

「あ、ウケなかった。でもいいや、俺は面白いと思うから。」と考える時って、一瞬の気持ちよくなるけど、やっぱりウケないからずっと気持ち良くはない。その快感を邪魔してるものが「分かる人に分かればいい」という考え方。

これを1歩引いて見てみると、「伝えたいことを伝えられない」ことに対する「言い訳」であり、伝えようとしない「怠慢」以外の何物でもない。飲み会でそんなヤツがいたら「1人で楽しんでるおまえって、なんなの?」ってなりますもんね。

「どうしても表現したいことがあるから、自分の価値観を簡単に曲げたくない」という考え方は、芸術家・表現者たちの一部の人に対して効果的だと思うんですけど、当然そうじゃない人もいるわけで。

「人に理解してもらう為に、自分の考え方を曲げることはしたくない」という今までの自分の考え方は、「相手に分かるように伝える努力(過程)」と「自分の考えを曲げる(軸)」という本質的には全く異なるものをセットで考えていた。

これらは「過程」と「軸」という、全く別の観点で捉えないといけないのでは?と思うようになった。まとめるとそういう感じです。

似たような文脈で、他にも印象的な言葉がありました。

(中略)商業作家としてこう在ろうとするものと、ものづくりとしての立場、作家としての純粋な満足との間には開きがある。

 

(自分の音楽の中で)どこで聴いてくれる人とコミュニケーションを取っていくのか。僕は、時代の風みたいなものを意識する。時代のニーズと自分の音楽活動をどこですり合わしていくか。その中で行きつ戻りつしている。

 

全体的な感想としては、以前も述べた「クリエイターは必読!」というものと「やっぱり、久石譲も人間なんだよなー」というものです。

ぼんやりと「すげえ人」「雲の上」というイメージがある作曲家・久石譲にも、俺と同じような葛藤を繰り返してるんだなぁと感じた。到底、足元にも及ばないんですけど、ある種の「親近感」を抱けたのはとても良かった。

自分にウソをつかない為に、冷静にかつシンプルに色んなことを解釈していきたいなと思います。