浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

人の成長を「実態」として捉えられるかやねん

思うことはタイトルのまんま。(ゴリゴリの関西人ではないんですけどね)

こんなことを堂々と書いちゃうのはダサい、と思いながら敢えて書くけど「あぁちょっとは俺もまともになってきたな。成長したかな。」って思う時と「成長したね」って言ってもらえるときが最近は増えてきて。自覚と評価が一致してきた感覚がこの頃あるわけです。

そこで、酔った勢いで、冗談めかしてね「あぁおれもしかし成長してる?(笑)」って言うときがある。調子に乗って「ほら、すごいって言えよ?(笑)」みたいにオラオラ感が出るときって、未熟な人間にはあるじゃないすか。え、俺だけかな。ヤバイかな、おれ。

で、それを言った時の周りの反応に2種類あるなぁって最近まあまあ思うのよ。

「え、まじ?それめちゃ良いことじゃん!?」っていうポジティブ派と「え、なに、自慢なのそれ?それで?」っていうネガティヴ派。

この2種類に分かれる。

もちろん、人はコントロールできないし「なにを思うか?」っていうのは俺の手を離れてるから別になんとも思わん。ネガティヴに反応されるのが嫌だと思うならオラオラすんなよって言われればそれまで。

じゃあ、自分がオラオラ野郎を前にした時どうするかって考えると、やっぱポジティブに反応したい。正直、自分も人の自慢を見るのは辛い時がある。やめてくれ…って時もある。

でも、やっぱり嫉妬するのはいつだって自分が不足してることを表す証拠だし、成長を否定したら周りにポジティブな人が集まらなくなるのは当然だと思うのよね。ポジティブな人に囲まれてた方が100倍良いに決まってる。

成長を語る人をポジティブに捉えるためには、成長を、単なる「実態」として冷静に捉えたいよなぁ。そうしたら無駄にムカつくこともなくなるし、良いことが多いと思う。

ネガティヴ派を駄目だと真っ向から否定するつもりはないけど、もったいないことだなぁと思うから、自分は気を付けたい。うん。

 

そんなかんじです