浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

猛暑、広告、愛

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最近、恥ずかしいことかもしれないけど、愛だの歓喜だの、どうしたんだ俺っていうくらい青臭いことを言ってばかりいる。友達と少しでもお堅い話になるとつい口走ってしまう。

仲良くしてくれてる友達は「まあ、そんな時期もあるよね」くらいのちょうどいい温かさで見といてくれると助かる。

愛とか歓喜とか言うようになったのは、この広告の影響か大きいと思う。

初めてこの広告を見たときは軽く流したんだけど、しばらくして見返してみると、妙に納得できたっていうか。ああそうかもしれないなぁ、みたいな。

口では「愛だよ愛」とか一丁前に言いつつも、納得したと同時に「愛ってなんぞや」みたいな疑問が出てきて、いまいち腑に落ちていなかった。

俺、彼女にフラれて3ヶ月くらいは、自分も周囲の人もビックリするくらい落ち込んで死にそうだったんですけど、3ヶ月経ったあとは、落ち込んでた時の自分が好きになったというか。
んー、別にフラれたことを美化するつもりは一切無いんすよ。それは無いんですけど、「すっげぇ生きてる感」がその3ヶ月はあったなぁって、あとで振り返った時に思ったのよ。俺、こんなに苦しいし悲しいけど、めっちゃ生きてるやんっていう感動。そして、その感動を味わった自分がめちゃくちゃ好きになって。

そんでふとした時に、これって「愛」じゃね?と思って。

たぶん、愛って『何かと対峙した時、対峙してる自分自身を好きになるその瞬間のこと』だなと強〜く思うわけ。

 

「自分自身を好きになる感覚」ってのはすんごく大事なことで。恋愛でもまさにそうやなと思うんすよ。彼女彼氏と付き合ってるときに「この人といると楽しい。落ち着く。」って言う人いるじゃないですか。あれは、自分を好きになってる時に出てくる言葉で、愛以外の何物でもないのよねぇって。

そういうことを本気で言い合ってるカップルを見ると、「良いなぁ」ってほんわりする。

愛って奴は、ナルシストなんですかね。ちゃいますかね。なんなんすかね、あいつ。言葉が見つからないわ。

んで、俺はどうしたいか?っていうと、(良い意味で)死ぬまでずっと自分に酔いしれてたいし、酔い潰れて死にたい。

まあでも、「そんなことは現実としてはあり得ないよ」っていう人がほとんどで、実際それは当たってる。まだ、「社会」という社会に出てないから実感を以って言えないけどさ。

でも、おれは理想や綺麗事ってできるだけ多く口にしたほうがいいと思ってる。

当然、歩ける道は現実の上にしかないんだけど、それを少しでも良い方向に向けてくれるのが、理想や綺麗事なんだと俺は思うのよ。うん。

だから、できるだけ愛に忠実に過ごしていきたい。

そんな感じですわ。

今日の東京は、アフリカよりも気温が高いらしい。暑すぎてハゲそう。