時間!
(初めて神宮前のSuzu Cafeに行ってきた。店員さんは美男美女で、NHKの隣のザリガニカフェより静かでメシも美味く、よかった。)
「時間の使い方」に対する考え方は前からあって、「自分が何を楽しいと思い、何に対して歓喜するのかを探すこと」っていうテーマがおれにはある。
でもまあ、あくまでも「テーマ」だからざっくりしすぎてて、もうちょっと噛み砕いて言葉にしておくべきだったという反省をしてる。
そして、いまこのテーマをもとに実践してることは「遊ぶこと」と「ふりかえること」の2つ。
自分が興味を持った遊びには出来るだけフィーリングで飛びつくことにしてる。たとえ、けっこうな金が必要でもね。今までそんなに遊んでこなかった自分にとって(小中は野球、高校は勉強って感じ)東京2年目の遊びは、やっぱりすげえ楽しい。飲みに行ったり、ライブに行ったり、旅行に行ったり、そしてまた飲みに行ったり。俺みたいなプラプラ野郎にとっては、めちゃくちゃ楽しいわけ。
そんで、遊んでるうちに徐々に思い始めることは「別に行きたくない遊び」にも、誘われたら行ってしまうこと。
これは、やっぱりダメだ。「ノリだよ!」みたいなノリは、おれは大好きなんだけど、その一方でそれが悪く作用する場合も当然あるなぁと。もちろん、そのノリで行って「楽しかった」で終わった経験がほとんどなのよ。でも、多っ少〜〜の罪悪感があるのも正直なところ。
そんで、ここでね、大事にしないといけないのが「なんで“別に行きたくない”のか」ってことを考えることで。この「ふりかえり」をしっかりしないと、せっかくの遊びを少し無駄にしちゃうわけよ。俺は遊んでくれる友達との時間は一切無駄にしたくねぇって思ってるから、ふりかえりをしてきっちり昇華させたい。
そして、誘われても「今日は行かないわぁ。ごめん。」って言うこともやっぱり大事やなって。別に行きたくないと思う遊びは、そもそも行く必要がないしねぇ。
それは、時間の浪費になりかねない。そもそも身の回りのことを損得で考えるのはダメやと思ってるし、そういう人は結局損してる。ましてや「遊び」を損得で考えるのはなかなかのキモさ。遊んでくれる相手にも失礼。
でも、それで仮に誤解されても構わないってくらいのハッキリした姿勢を持たないと、そろそろやべぇなって気付いた。俺の友達ならみんな理解してくれそうだから、あえて書いた次第。
「これは本当に行きたいって思う遊びか?」ってことを、ちょっと考えてから決めたい。
なにに時間を費やすべきか。
次の日には静まってる、突発的な感情だけで行動することが時間を無駄にするわけで、そういうことはしたくない。
いまの俺は周りの人に「恋愛はしたくないことはない」って言ってる。つまり、心の底から「したい」とは思ってない。タイミングというか、好きな人ができたらそりゃもちろんっていうスタンス。恋愛に対しては、そんなに細かく神経使ってあれこれ考えてたら始まらないし、良くないと思ってるけど、それと同じことを他のことでもしてたらマズい。
恋愛に対する基本的な今のスタンスを他のことでも貫ぬくのって、けっこう大事やなってわけ。
大胆に、慎重にってね。
そんな感じです。
髪型どうすっかな〜〜。やっぱ夏はKJかな
「芸術家」なんて大それたもんじゃないけど
前に書いたエントリの中で、言い切れないことに耐えられん!みたいなことを書いたんだけど、自分はどうしたいのかって考えた。
コミュニケーションにおいて、伝えられないことっていうのは前提としてある。それはもう、コミュニケーションである以上は避けられないもので受け入れることにした。
でも、「伝えられないこと」をずっと自分の中で溜め込んでおくのは体調が悪くなりそうだし、生き方としても良くないことだなと。
当たり前の話として、コミュニケーションって「思いが伝わること」がゴールなわけで、そうなるとリアルな「会話」だけに限定する必要性なんてさらさら含まれてないのよね、たぶん。
それは、映画監督なら「映画」だし、画家なら「絵」とか。いわゆる芸術系かな?ここで、「え、ヒロトは芸術家になるの?」って聞かれたら答えはノー。
芸術家って言うとニュアンスがちょっと違う。そうじゃなくて、浮き足立った言い方をすれば「表現者」になりたい。
「一緒やん(笑)」っていう人が大多数だと思うけど、俺の中では表現者だから表現者って言わせてほしい。
今の世界で、この定義がぴったり当てはまる言葉は「表現者」って言い方が俺の中では1番しっくりくる。
リアルなコミュニケーションでは伝えられないけど、自分が強〜く思ってることを「会話」以外の形で伝えるんだと。
そうすれば、自分の生き方を不自由なく全うできるぜっていう感じ。
何を使って表現するかって問いには、答えられる段階じゃなけどね。
でも、ちょっとだけ見通しが良くなったような気がする。
そんな感じです。
言い切る
最近、おれの会話は下ネタと下らないツッコミと真面目な話で構成されてる。
3分の2を「下」の付く言葉が占めてるのを見ると、改めて自分の愚かさが分かるんだけど、まあそこは今後も治らんだろう。
そんで、今回俺が言いたいのは3分の1を占めてる真面目な話をしてるときの「窮屈さ」がしんどい、ということよ。
この窮屈さは、「腹の底ではこう思ってるんだけど、相手が目の前にいることだから言い切れない」というやつからくるもの。
おれの会話の中身をふり返ってみると「もちろん正解なんてないんだけどさ(偉そうでキモい)」とか「いや、人それぞれなのよ?」とかね。字面を見てるだけで「本当はそう思ってねぇんだろ?」って自分に言いたくなるくらいの遠慮具合。
実際に、この世界には正解や不正解なんてなくて、人の好き嫌いがあるだけなんだけど、おれ自身は絶対これが正しいと思うんだ!!みたいに熱く思ってることが、少なからずある。恐縮だけど。そして、それを相手にそのまんまの形で伝えたい。
でも、やっぱりリアルな「コミュニケーション」において決めつけた言い分は絶対に良くないし、それはやっぱり間違ってる。
そんなことを頭で分かっていながらも、言い切れない自分がもどかしくなる時が多い。
「自分に嘘をつきたくない」っていうほど、固い信念みたいなやつは持ち合わせていないけどさ、やっぱりなんか窮屈で。
でも、やっぱりこれは「そういうもん」なんかねぇ。とか、思考が堂々巡りし始めたから、今日はこの辺にしておく。
『バランスなんて、糞だよ』
最近は、「歓喜!愛!」と暑苦しいことを叫んでる俺だけど、時間の使い方を考えてたら色々思うことが増えてきた。
時間っていうのは、人間にとって1番貴重なものでリソースの配分をミスるとしんどいことになる。
それで、歓喜とか言ってる俺は、自分の「時間」を歓喜するためだけに使いたいと当然のように思ってる。
歓喜ってやつは、自分のことを好きになる瞬間の連続だから、文字通り「絶対的」なもの。他のなにかに左右されることはないの。
他の何かに左右されないというか、他のなにかを受け入れた時点でわずかな揺らぎが出てくるので、「外に遠慮しない」という言い方がいいか。
俺の言う「歓喜」ってそういうもの。
じゃあ、相対的なことは、ちゃんと排除しないといけないことになる。常に自分の中に軸を置いて、孤独に晒されながらもなんとか立っている、そんな強さをオレは持たないといけないわけ。ただ、やっぱり不安があるのよ。世の中の人の大半は、おれの絶対性と相容れないことがほとんどだと思う。「あいつは冷たい」「器の小さい人間」とか言われることが、どうしても怖い。
ちょっと前、先輩にメシへ連れてってもらって話したなかで、「バランスなんて、糞だよ」と言われた。
俺みたいな恐怖感を持ってる人は、つい「嫌われずに自分のやりたいことをやる方法」なんてことを人に聞いたりしちゃう。でもそれは、人生の仕組みにおいて不可能なことだからトレードオフをしないといけないんだよ、と。
要するに、相対性を孕むものは片っ端から排除していかないといけねぇの。いまこの文章を書いてる時も「片っ端から」の部分を「できるだけ」と書こうとした。こんな小っちゃいことからでも、自分はバランスを取ろうとしてることが分かる。
バランスをとること自体は悪くないんだけど、俺みたいに「絶対的な!」とか言ってる人間はどこかでトレードオフをしないと駄目だってこと。
うーん、どうすっかなぁ〜〜
そんなかんじです。
下北沢で服を買って課題をしただけ
昨日の夜、高井戸の友達の家に泊まって、きょうは昼過ぎから友達と下北へ出かけた。ベアポンドに行って、たこ焼きを久しぶりに食べた。ただでさえ金がないのに、服も買っちゃった、
家に帰るとテレビは選挙一色で、課題をしながらテレビを見てた。
まあ、なんにもなかった日。
テスト期間の7月は、ブログが捗らなさそう。
そして、この暑さをどうにかしてほしい。
そんな感じです。
人の成長を「実態」として捉えられるかやねん
思うことはタイトルのまんま。(ゴリゴリの関西人ではないんですけどね)
こんなことを堂々と書いちゃうのはダサい、と思いながら敢えて書くけど「あぁちょっとは俺もまともになってきたな。成長したかな。」って思う時と「成長したね」って言ってもらえるときが最近は増えてきて。自覚と評価が一致してきた感覚がこの頃あるわけです。
そこで、酔った勢いで、冗談めかしてね「あぁおれもしかし成長してる?(笑)」って言うときがある。調子に乗って「ほら、すごいって言えよ?(笑)」みたいにオラオラ感が出るときって、未熟な人間にはあるじゃないすか。え、俺だけかな。ヤバイかな、おれ。
で、それを言った時の周りの反応に2種類あるなぁって最近まあまあ思うのよ。
「え、まじ?それめちゃ良いことじゃん!?」っていうポジティブ派と「え、なに、自慢なのそれ?それで?」っていうネガティヴ派。
この2種類に分かれる。
もちろん、人はコントロールできないし「なにを思うか?」っていうのは俺の手を離れてるから別になんとも思わん。ネガティヴに反応されるのが嫌だと思うならオラオラすんなよって言われればそれまで。
じゃあ、自分がオラオラ野郎を前にした時どうするかって考えると、やっぱポジティブに反応したい。正直、自分も人の自慢を見るのは辛い時がある。やめてくれ…って時もある。
でも、やっぱり嫉妬するのはいつだって自分が不足してることを表す証拠だし、成長を否定したら周りにポジティブな人が集まらなくなるのは当然だと思うのよね。ポジティブな人に囲まれてた方が100倍良いに決まってる。
成長を語る人をポジティブに捉えるためには、成長を、単なる「実態」として冷静に捉えたいよなぁ。そうしたら無駄にムカつくこともなくなるし、良いことが多いと思う。
ネガティヴ派を駄目だと真っ向から否定するつもりはないけど、もったいないことだなぁと思うから、自分は気を付けたい。うん。
そんなかんじです
フリー編集者 鈴木さんにここ最近ハマってる。
読んだ。
これは1年以上前の記事で読むのが遅くなりすぎたんだけど、鈴木さんは前にツイキャスで初めて知って、それからはツイッターもインスタも見ているほどに好きな人。
フリーの編集者で、「THE FUTURE TIMES」というアジカンの後藤さんが編集長をしているメディアの編集もしてる。
この記事で印象の残った部分があって。
目の前にあることに真摯に向き合って日々を過ごすことと、自分の世界と思考を拡げていくための視野を、まさに俯瞰しながら養っていく時期
この部分が、今の自分を完璧に言語化してくれているような気がして、勝手に「えみりさん!!!!」と電車の中で叫んだくらい。もちろん、声は出してない。
こんなにカッコよく綺麗に言葉にできることに対する憧れと、 なるほどなあと自分を客観できた感じがして、めちゃくちゃテンション上がったな。
綺麗に言語化してもらったおかげで、自分の中のいろんなことが明確になった気がして、言語化ってけっこう大事なものでサボっちゃいけないことだあなんてことも思ったり。
これからも鈴木さんはチェックさせて頂きたい
そんな感じです。
猛暑、広告、愛
最近、恥ずかしいことかもしれないけど、愛だの歓喜だの、どうしたんだ俺っていうくらい青臭いことを言ってばかりいる。友達と少しでもお堅い話になるとつい口走ってしまう。
仲良くしてくれてる友達は「まあ、そんな時期もあるよね」くらいのちょうどいい温かさで見といてくれると助かる。
愛とか歓喜とか言うようになったのは、この広告の影響か大きいと思う。
初めてこの広告を見たときは軽く流したんだけど、しばらくして見返してみると、妙に納得できたっていうか。ああそうかもしれないなぁ、みたいな。
口では「愛だよ愛」とか一丁前に言いつつも、納得したと同時に「愛ってなんぞや」みたいな疑問が出てきて、いまいち腑に落ちていなかった。
俺、彼女にフラれて3ヶ月くらいは、自分も周囲の人もビックリするくらい落ち込んで死にそうだったんですけど、3ヶ月経ったあとは、落ち込んでた時の自分が好きになったというか。
んー、別にフラれたことを美化するつもりは一切無いんすよ。それは無いんですけど、「すっげぇ生きてる感」がその3ヶ月はあったなぁって、あとで振り返った時に思ったのよ。俺、こんなに苦しいし悲しいけど、めっちゃ生きてるやんっていう感動。そして、その感動を味わった自分がめちゃくちゃ好きになって。
そんでふとした時に、これって「愛」じゃね?と思って。
たぶん、愛って『何かと対峙した時、対峙してる自分自身を好きになるその瞬間のこと』だなと強〜く思うわけ。
「自分自身を好きになる感覚」ってのはすんごく大事なことで。恋愛でもまさにそうやなと思うんすよ。彼女彼氏と付き合ってるときに「この人といると楽しい。落ち着く。」って言う人いるじゃないですか。あれは、自分を好きになってる時に出てくる言葉で、愛以外の何物でもないのよねぇって。
そういうことを本気で言い合ってるカップルを見ると、「良いなぁ」ってほんわりする。
愛って奴は、ナルシストなんですかね。ちゃいますかね。なんなんすかね、あいつ。言葉が見つからないわ。
んで、俺はどうしたいか?っていうと、(良い意味で)死ぬまでずっと自分に酔いしれてたいし、酔い潰れて死にたい。
まあでも、「そんなことは現実としてはあり得ないよ」っていう人がほとんどで、実際それは当たってる。まだ、「社会」という社会に出てないから実感を以って言えないけどさ。
でも、おれは理想や綺麗事ってできるだけ多く口にしたほうがいいと思ってる。
当然、歩ける道は現実の上にしかないんだけど、それを少しでも良い方向に向けてくれるのが、理想や綺麗事なんだと俺は思うのよ。うん。
だから、できるだけ愛に忠実に過ごしていきたい。
そんな感じですわ。
今日の東京は、アフリカよりも気温が高いらしい。暑すぎてハゲそう。