浪 漫 書 簡

昼寝とロックンロール

「ミーハー」は良いヤツだから、決して馬鹿にしちゃいけないと思うわけです

「普通を愛する」なんて、素直になんでも真っ直ぐに受け入れられる人が聞いたらほんと笑っちゃう言葉だと思う。でも、俺のような心が変な方向に曲がってる人間には「自分以外にもそういう人がいるんだなぁ〜」っていう安心感を与えてくれるから救いになるわけです。僕は、「人と違うことが面白い」と思って20年生きてきてその意識によって自分をなんとか維持できてきた男だと思ってます。実際、その意識によって周りから「面白いね」「(いい意味で)変わってるね」と言われたことも何度かあって、その都度嬉しい気持ちになっていました。

ただ、困ったことが起きるのも本当の話で、それは何かというと「普通を嫌いすぎる」こと。「普通を嫌いすぎる」ことで何に困るかというと、まっさらな素直な気持ちで他人と楽しさを味わえないことです。

喜びを共有できない。

例えば、みんなが絶賛してる映画があったら、他人と一緒な感想を述べてもつまらないと考えて、ちょっとズラしたことを言ってやろうという意識が働く。それがウケないときは論外ですけど、それが仮にウケたとしても、どうしても他人と距離を感じてしまう。これに嫌気がさすことは何度も経験してきて、直そうと思ってもなかなか直らない厄介ものです。みんなが良しとするものに共感してみようと、「本質的ではない」と思いながら努力はしてますが、やっぱり違和感がどうしても残る。ここはじっくり向き合っていかないといけない気がしてるので、考えていくことにします。

 

そんな罪悪感を抱く一方で、ポジティブな考え方もできるようになってきた。世の中には「ミーハーはダサい」みたいな考え方が一部に蔓延してますけど、僕はミーハーを見ると心底「良いなあ」と思う。「西野カナの歌詞にうっとりしてる女子」なんかに拍手を送りたくなります。EXILEのTAKAHIROが超カッコいいと思って、TAKAHIROみたいな髪型や眉毛にしてる男も大好きです。これは嫌味でもなんでもなく、素直に「良いなあ」と思うわけです。

どんなことでも、自分が良いと思うものに迷いなく熱中できる人は、憧れにも似た気持ちを抱くことが増えた。

この前、香川のフェスに友達3人と行ってきたんですけど、普段おとなしいその3人が好きなバンドが出てきた時に、文字通り我を忘れてライブを楽しんでたんですね。その姿を見たら、もうなんか、言葉にできない感慨を抱いたわけです。「お前ら最高だわ。俺もそんな風になれたらいいなあ」って。そういう人たちがたくさんいる音楽フェスは、めちゃくちゃに良いものだと何度も思った。

 

hirotosaito.hateblo.jp

 

もちろん「罪悪感」っていうものはあまり良いものじゃないんですけど、少しでもポジティブな考え方ができれば人に対する見方が良い方向に変わることだってあるんだなと。

そんな感じです